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世遊名人対談 第28回 北原義紀氏 北原義紀氏写真

■プロフィール

SORA代表 北原 義紀
1970年11月1日生まれ 大阪府出身
1995年 渡英 帰国後 都内美容室勤務
2002年 SORA設立 現在 広尾・麻布十番・学芸大学 都内に3店舗を展開
2011年~ フィリピンでのボランティア活動をはじめる「ハサミ ノ チカラ」

美容師経歴
ARIMINO PHOTO PRESENTATION 2011 優秀作品賞 受賞
OBA VANTAN 「髪の巧」 「北原塾」 他各メーカーで講師を務める
業界誌 shinbiyo marcel TOMOTOMO IZANAGI BOB SnipStyle 他各誌
一般誌 GINZA In Red ar Miss 他各誌
ijiit Diary 2009A/W~2013/SS hairmake 担当
MONDO-artist group所属 HairArtistとしてミラノコレクションに参加
ケミカルからクリエイティブデザインまで多岐に渡り活動中

SORA http://www.sora-style.com/
KITAHARA YOSHINORI ブログ「ハサミノチカラ」 http://ameblo.jp/sorakita3/

 

 

(聴き手:ビズデザイン株式会社 シニアリサーチャー 菅 裕子)

(掲載日:2013/7/16)

 

◆「ハサミノチカラ」始動! 「人のために」<自分がしっかり立っているための活動

(菅) 北原さんは美容室SORAの経営者、雑誌やファッションショーでのヘアメイクアーティスト、美容師の育成、ボランティア活動、と多岐に渡るご活躍をされていますが、今日はフィリピンでのボランティア活動「ハサミノチカラ」についてお話しをお伺いしたいと思います。まずどのようなことからこの取り組みが始まったのですか。

(北原) 始まりは偶然みたいな出来事で、僕の発した言葉「ハサミノチカラ」がたまたま活動になっています。僕は、3年前に父が他界してメンタル的に落ち込んでいた時期があったんですが、その頃お客様にゴルフの展示会に誘われて、本当は20時まで仕事の予定で行けないと思っていたのですが、たまたま19時のお客様がキャンセルになって行けたんです。行ってみるとそこにカラフルでかわいいゴルフボールのケースがあって、どうやって作っているのかと聞いたら、それが「エコミスモ」という、フィリピンの女性達がお菓子の袋で作っているもので、それを日本で販売することで孤児院や貧困層の生業になっている、と言うのです。その活動を支援しているNPO法人「ACTION」の代表横田宗氏が、その日偶然来られていて、そこで彼と出会いました。その時はNPO自体をあまり知りませんでしたが、横田氏は日本人でありながら、フィリピンの貧しい人たちを支援していて、しかも彼は16・17歳のときからそのような活動をしていると聞いて大変驚きました。なんでもない普通の家庭で育った人が、一度も就職もせずにフィリピンに住んで、貧しい人達の支援をしている。彼は僕より6歳歳下で、単純にすごいなと思いました。「僕にも何かできないか」と聞くと、「孤児院の子たちは美容院に行けないので、施設のスタッフや先生が髪を切っている。男は床屋には行くけど単に髪を切るだけで、髪形でおしゃれをするためではない。」と言われ、「僕らが行って、おしゃれにしてあげたら喜んでくれますかね?」と聞いたところ「ぜひぜひ」と。その秋からすぐ企画を立てて、2011年の4月に初めてフィリピンに行きました。

(菅) 横田氏との出会いが大きかったと思いますが、その出会いは偶然が重なってのことですね。偶然の出会いから、フィリピンに行くビッグプロジェクトにまで発展したことに驚きます。

(北原) 僕が行きたいと思った心の中には、父の死が影響していました。人生の中で親を亡くす経験というのは、父と母二度きり。その片方の父を亡くしたのは自分にとって強い空虚感がありました。父の死により「理容師だった父はハサミ1本で家族を支えていた」と、改めて考えました。理容師として尊敬していたと思います。また生きているうちに何ができるのかという事も改めて考えました。たとえたくさんの財産や富を手にしても、きっと死んだ後に心に残っているのは「生きているうちに他の人のためにどんなことができたか」だと思うような時期でした。やってみなれければわからないけど、とにかく何かやらないと自分自身にいたたまれない気持ちがすごくありました。自分の中の何かを埋めるために行動していたと思います。「人のために」の裏側で、自分がしっかり立っているための活動だったと言えます。美容師の経営者仲間に声をかけてフィリピン行きを計画しました。
ただ、その企画が実行されたのは2011年4月、ちょうど3.11の後でした。行く前は被災地じゃなくてなんでわざわざフィリピンに行くのかと思ったりもしましたが、そこに待ってくれている子どもたちがいるから行こうと。戻ってきてから、5月から数回被災地にも行ってカットをしました。

 

◆フィリピンへ 4回の訪問、変化する思い

(北原) 2011年4月、1回目のフィリピン訪問ではエコミスモ(お菓子の袋を使ったケース)を作っている家族や、孤児院の子ども達に、5人でだいたい100人くらいの髪を切りました。そのときはただただ「何かいいことができた」と思いました。最後の日になって、行った5人でなぜか涙が止まらなくなりました。「やっぱり美容師っていい仕事だなー」と大きな喜びがありました。フィリピンでの経験は戻ってきてから、すごいパワーになりました。

北原義紀氏 写真2

(菅) 美容師の仕事について、その仕事の意義や誇りを再確認されたわけですね。

(北原) マニラから戻ってきて、いろんな人にフィリピンでの話をしていたら、自分も行きたいと多くの美容師仲間が言ってくれました。
そこで2回目を企画しました。その時はスラム街で18歳の成人式のお祝いイベントを企画し、20人程の女の子たちのヘアメイクと衣裳を整えてパーティーを開催しました。普通のフィリピンの女の子たちにとって成人式はデビューといって一生のうちでも最も思い出に残るイベントです。裕福な家庭であれば盛大にお祝いするのですが、貧しい家庭ではケーキを買って家族で食べるくらいがせいぜいです。スラム街でのこのイベントで、とびっきりのおしゃれをしたことが、彼女たちの一生の思い出になってくれればいいと思います。
またその女の子たちの各家庭に伺ってお父さんお母さんにも会いました。スラムも一番ひどい所ではなかったですが、外から土間が続いていて床が無い、ほったて小屋みたいな家がほとんどでした。だけど面白いのは、貧しいから不幸ではないんだというところ。親戚や長男次男がすぐ近くに住んでいたりして、隣の家と台所を共有していたりする。家族が生活の核としてあって、テレビもみんなで観て、リビングで寝る。家族が目に見えるところにいる。それで例えばクーラーが無いから、暑かったら窓を開けるし、彼らはそういった「感覚」が優れているんじゃないかなと思いました。日本ではセンサーが湿度まで管理してくれて、頼んでもいないのに除菌をしてくれたり、ダニまで防止してくれる。でもそれによって自分たちは感覚が鈍ってしまっているなと思ったんですね。だから感性の鋭さであったり、物の無い欲っていうのが何より人を焚き付けているなと思いました。

(菅) 訪問2回目には違う企画を持って行かれている。押し付けのボランティアではなく、現地の人に親身になっておられることがよく分かります。また感性の鋭さ、といった視点はアーティスト的ですね。

 

北原義紀氏 写真3

(北原) 僕は自分が何か与えようと思って現地に行くことは無くて、むしろ現地で自分が感じさせられることがたくさんあります。今の当たり前というのは当たり前ではないんだなと思うし、恵まれているなと思うところもあれば、そうであるようでそうでないと思うところもあって、それを感じられるのがこの活動だと思います。

去年2012年の12月3度目のフィリピンへ行きました。Facebookやブログ、講演の機会などで「ハサミノチカラ」について情報発信した成果か、プロジェクトに賛同した、初めて会う人たちがいっぱい来ていて、僕はツアコンみたいな感じになっていました(笑)。そのとき活動が広がっていっていいなとは思ったんですけれど、ただ、現地に行くことが本質的な解決ではない。これをツアーとして続けていくことではなく、本当の意味で問題を解決していくことが必要だと思いました。それが、自分たちの美容の仕事を、施設の子どもたちに伝えることだと考えました。

そして4回目・・・

 

 

◆本当にやるべきことは自立できる技術を伝えること!

(北原) 単なるワークショップという形ではなくて、本当の意味で彼らが美容師になればいいと思いました。フィリピンには美容師の免許も無いし、縛りもキツくないので、40くらいの孤児院の中から美容師をやってみたいという人をピックアップして、指導を開始しました。それが今年の5月です。
施設から集まった12~14歳の子どもたち16人に、日本のカリキュラムを持って年に数回、定期的に訪問し、3年から4年くらいかけてカットの技術を伝えていく。18歳で施設を出るときに、髪を切れるという一つの技術を持っていれば、きっと親戚とかがいる村に戻ったときに、役に立つだろう。技術が無ければ職はないので、最悪夜の世界に入ってしまって、子どもでもできて、結局育てきれないから施設に行く子どもが増えてしまう。その負の連鎖を起こさないためにも、技術を身に付けさせることが必要だと。
たとえカットが幾ばくかのお金にしかならなかったとしても、日本の美容師さんに習ったと、ちゃんとした証明書でもってお墨付きをあげれば、村の中であいつに切ってもらった方がいい、ということになって、ご飯は食べていけるかもしれない。そういうきっかけになればいいと思いました。

支援にはお金が必要なので、今、日本の中でも、また来年行けるように、NPOでハサミノチカラを活動の一部として、「チカラプロジェクト」というものを考えています。ファッションの力だったり写真の力だったり食の力だったり、人が自分の持っている特技・生き方をどうやって人のためにお裾分けするかを考える。ハサミノチカラはそのきっかけです。僕はハサミしかできないけれど、これからいろんな「チカラ」のプロジェクトが始まるきっかけになればいい。最終的には、僕らが現地に行かなくていいのが一番いい。現地の人たちでハサミノチカラをやってくれれば、僕らは他の国へも行けます。そうなると、ぼくらの持っている天職がいろいろな人の役に立つし、本当の意味で、ハサミでみんなが幸せになれたらこれほどハッピーなことは無いと思います。
美容師にとっても、単純に髪を切って、喜んでもらって、対価を頂く「ビジネス」としてではなくて、そのもっと根っこに幸せがあるんじゃないかと思います。

 

(菅) フィリピンへ行く度ごとに北原さん自身が違うことを感じて、得るもの得て、次の展開に繋げておられる。それによりこの活動が単なる一過性のボランティアに留まらない、本気で現地の人達の事を考えての活動に発展されている点が本当に素晴らしいと思います。
最初から「人のために」という力の入ったことからではなく、ふとしたきっかけと「たまたま」がどんどん良い方に向かっていきましたね。

(北原) そうですね。力んでもダメ。力んで何かをやるより、自然発生的にやるのが上手くいくと思います。自分が行けばこうなる、こうできるようになると思う人もいるけれど、あなたができなくてもそこの人は生きていくから(笑)。こういう活動は自分の生活もできて初めて成り立つんだと思います。僕がこうやってSORAというお店があるからできることで、自分が出て行けるのは自分がいなくても運営してくれているスタッフがいるから。SORAをスタートして10年続けて初めてできることだと思っています。

 

北原義紀氏と菅裕子の写真

(菅) 経営者としての北原さんも素晴らしくて、SORAのスタッフ方の教育も行き届いていらっしゃると客の立場からいつも思っています。経営者として、ヘアメイクアーティストとして、ヘアメイク講師として、ハサミノチカラプロジェクトのリーダーとして、4つの顔を持ってご活躍中ですが、これからも北原さんのご活動がますます楽しみです。
本日はどうもありがとうございました。

 

 

※ご講演等のお問い合わせ、北原義紀氏へのコンタクトは、弊社までご連絡下さい。

 

 

 

  

  

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