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世遊名人対談 第15回 泉貴嗣氏 泉貴嗣氏顔写真

■プロフィール

泉 貴嗣 氏  CSRコンサルタント

 東京農工大学大学院 連合農学研究科 博士課程満期退学。1979年東京都出身、現在は湘南鵠沼在住。武蔵野大学環境オフィスシニア・マネージャー、講師(「CSR・SRI論」「社会・経済環境論担当」)などを経て、CSR及び産学連携支援の個人事務所「允治社」、CSRオピニオンに関するウェブマガジン「CSRジャーナル」、ソーシャルビジネス・CSRを体系的に学べる場を創る、ソーシャルアカデミー(Social Academy)を設立。またJASDAQ企業の第一カッター興業株式会社の監査役などを務める。

「允治社(個人事務所) 代表社員

「CSRジャーナル」主筆  http://www.csr-journal.com/

ソーシャルアカデミー校長  http://social-academy.jp/index.html

第一カッター興業(株)監査役  http://www.daiichi-cutter.co.jp/

(社)首都圏産業活性化協会 コーディネータ  http://www.tamaweb.or.jp/

 

(聴き手:ビズデザイン株式会社 取締役 友田 景)

(掲載日:2011/8/23)

 

◆ソーシャルアカデミーで、CSRを体系化する

(友田) 今日は初めての野外対談です。私は今日初めて江ノ島に来ました。観光地らしくお土産物屋さんや食べ物屋さんが並ぶ表通りと、裏通りには普通に民家があって、日常生活がある場所なんですね。

( 泉 ) そう、意外かもしれませんが江ノ島には普通に人が暮らしています。路地には猫もたくさんいて、普通の日本の田舎の島の町です。私は湘南で育ちましたので小さい時からいつも見ていた光景です。

(友田) 海の空気を吸いながら、リラックスしながら進めていきたいと思います。早速ですが、下北沢でソーシャルアカデミーが開講しましたね。どのような狙いがあるのでしょうか。

( 泉 ) 第一期本科生9名、聴講生2名、合計11名で始まります。そもそもCSRを毎回のセミナー形式で勉強することにニーズがあるのか興味がありました。お手軽な1回完結型のセミナーには行きやすいですが、体系的に学ぶことはなかなか難しいです。日本のCSRビジネスはそういう意味ではまだ底が浅いです。今回のCSRの学校はマーケティングの人もいればマネージメントの人もいる、CSR報告書を作っている人もいる、なるべくいろんなジャンルの人を混ぜてCSRを体系的にしたいと思って企画しました。

(友田) 確かに、日本ではまだまだCSRを体系的に語ることはできていませんし、広告やマーケティングに偏重している感じがありますね。

( 泉 ) 自然科学のような厳密な定義は出来ないでしょうが、一定の範囲というかレンジを考え、共有できると思っています。幅の持ち方をどう表現していくか、ということです。今はそれが出来ていないので弁護士はコンプライアンスを、公認会計士は内部統制を、広告代理店はソーシャルコミュニケーションを、マーケッターはコーズマーケティングを、というカオスな状況です。みんな専門職のスキルによってCSRの定義が極端に狭められて収れんしていっています。そこを変えていくには教育が重要と思い、複数回の連続した講義を企画しました。講義は事例の話よりも、「ソーシャルとは何か」といった視点とか視野を教えることで、自ずとあるべきCSRのレンジに収れんしていくだろうと思っています。

 

◆経済は社会の中の一部である。

(友田) 企業再生の仕事をやると、再生にかかるような会社はほぼ「当たり前のこと」が出来ていないか、もしくはそのレベルが非常に低いと感じています。僕は、CSRの中でも企業として社会の中で存在していくための「当たり前のこと」を持続的にやっていくことをインナー(守りの)CSRと呼び、社会から愛され、求め続けられるため社業(本業)の強みを活かした投資をしていくのが、アウター(攻めの)CSRと呼んでいます。泉さんはどんな風にCSRを捉えられていますか。

( 泉 ) CSRとは僕の中では、ひとつは資本主義経済システムとか、市場経済システムの中の一つの代謝、自律的な作用だと思っています。市場主義経済だとか、資本主義経済の活動で生じた歪みを自分で補正するような、一つの大きな社会システムの機能だと思うのです。今ここに存在しているシステムでだけではなく、過去と未来、それがどういう原因で存在しているのか。現代社会は経済的な理由だけで世の中や人が存在していることはあり得ないのに、多くの人は経済というメガネをかけて社会を見ています。

泉貴嗣氏写真1

(友田) ビジネスの世界では経済だけで社会を語りがちになってしまいますね。利益を出すことを第一に考えるために経済活動により社会に歪みが生じている。それを解決するためにCSRが作用するということですね。

( 泉 ) 僕の持論では、経済生活の空間はバザールとマーケットの二分法になっています。マーケットとは為替や原油など大量に扱う空間のことで、現実世界での身近な例はスーパーマーケットです。JANコードをレジでスキャンすれば誰でも同じ金額が出てくる、属人性を排除した効率的な空間です。ではバザールとは何かと言うと「今日いい魚入ったよ、お姉ちゃん綺麗だね、あんただから安くしとくよ」など相対の属人性の空間です。マーケットは属人性を排除することで量を取り扱う空間になりましたが、バザールは属人性が高いが故に経済的なものだけではなく、コミュニケーションとか社会的な目的を含んでいます。逆にいうと今の地域とか地方とか商店街が厳しいのは、バザール空間なのにバザールの良さを掘り出さないままマーケットの理屈の真似をしている。猿まねでは資本力には勝てません。人間の生活している空間はエコノミストが言っているマーケットだけではなく、それ以外の空間もあり、それぞれに良さや求められる適正さがあるのに、それを理解していないのでそのバランスが崩れている。そのバランスを回復させるのがCSRとかソーシャルビジネスと言われている物かもしれない。そういう風に社会経済システムを大きな流れで捉えることができると思っています。

(友田) 経済は社会における人の営みがあってこそのもので、社会の一部ですよね。そこをちゃんと理解しないといけないということですね。

泉貴嗣氏と友田景

( 泉 ) 経済社会という言葉を使う人がいますが、私は社会経済しかありえないと思います。経済人類学っていう学問の領域がありますが、ハンガリー人の経済人類学者カール・ポランニーが『大転換』という本の中で、「社会に埋め込まれた経済」という言葉を使っています。経済とは経済だけが社会から突出しているものではなくて、本来は社会の進運の目的であって、あくまで目的それ自身は社会に依存するだけで、経済それ自身が目的になるわけではありません。そもそも19世紀~20世紀の経済学者アルフレッド・マーシャルは経済が発展すればその他の問題も解決できるだろうということで経済だけを社会から純粋に抜き出して発展させる理屈を考えたのですが、今はなぜマーシャルがそんなことをわざわざやったのかを考えず、ただ何となく学校で教わった経済学の方法を真似しているのです。

 

◆倫理観と大局観を持って経営をする。

(友田) 経済だけを取り出す効率的な考え方を進めてきたことにより、経済は大きく発展することができてきた。一方で経済が社会の一部であることを忘れてしまった。企業も社会の一部であることを忘れてしまっていると感じます。

( 泉 ) ヘンリーフォードⅠ世はベルトコンベアによる流れ作業で大量生産を可能にして車の生産コストを下げ、従業員の賃金を上げて、従業員が車に乗れるようにしました。しかし今の自動車産業は真逆になっています。従業員の賃金を下げて車に乗れないようにしている。しかもそういうコストカットのリストラをした人が偉くなれるようになっている。社会生活で道徳を排除するようなシステムが唱えられているのです。渋沢栄一や松下幸之助のような経済と倫理をミックスさせて何かすると言う人は出てこなくなっています。学校教育でも道徳の時間は遊ぶ時間になっています。道徳や倫理は宗教的なものが担保になっているのに、日本の公教育などでは宗教を教えられないため、「これをしてはいけない」という時、生活の規範における根拠を掘り下げられなくなっています。。

(友田) 日本では宗教がなくなり、道徳観が薄れ、利益偏重の経済一辺倒の考え方の中で、従業員のためを思う経営は薄れてきてしまっていますね。

( 泉 ) またCSRやソーシャルビジネスに携わる人で政治の問題にコミットしない人もいます。ソーシャル系だけどノンポリを気取っている。昔のギリシャ語で「ゾーオン ポリティコーン(zoon politikon)」って言葉がありましたが「人間は社会的動物である」という訳です。ポリティコーンの部分を政治と訳してみると社会と政治は同義です。どこの政党を支持するとかそんなことを表明する必要はありませんが、社会問題を解決する手法から政治を排除するなど、最初から無いものとして見ていることはできないはずです。ビジネスと政治は本来連携してやっているから意味があるのです。

(友田) 政治を排除して考えてしまうのは全体を見ていない、全体感がないということですよね。それで社会問題を解決するのは難しい。教育からも政治は排除されていて、政治に関わろうとしない人が非常に多い気がします。

( 高 ) そうです。大局観がないのです。しかし大局観なんて全員が持てるものでもありません。学習、知育で知的な部分だけを伸ばしただけで、大局観を養えるかというと、単に情報が増えるだけで、情報を統御する術そのものが身につくわけではありません。とはいっても社会問題は深刻化する一方なので、このままほっとくわけにもいきません。知識を教えるのではなく、パースペクティブ(全体を見通せるよう)な知恵を教える教育をやりたいと思って「ソーシャルアカデミー」をやるのです。

 

◆CSRは、社会的責任ではない。

(友田) CSRは「企業の社会的責任」と日本語訳されていますが、「責任」という言葉は果たしたか果たさなかったか、○×で終わってしまう感じがしていて、持続性を感じません。英語だとResponsibilityはResponse と Abilityの合成語で、反応できる能力となりますよね。なので、CSRは「社会的対応力」と訳す方が実態に合っている感じがしています。

( 泉 ) 「責任」という言葉は目的であったり対象であったり、物の静態を表していて、前向きではありません。僕はCSRの日本語訳は動態的な表現として「社会的経営」だと考えています。学校でも病院でもなんでも事業体は社会的経営が必要です。教育学で社会化って言いますが、企業も社会化している。だからCSRというのは結果とか、目的とか、ある一部分を切り取った表現としては責任かもしれませんが、責任を果たしている様そのものは社会化ないし、社会的経営そのものだと思います。確かに英語だとResponsibilityはものすごくポジティブでいい言葉ですが、日本語には適切な訳語がありませんね。社会学や言語学の考え方で、言語帝国主義という考え方があります。ある概念が英語で表現されている時、そのシステムやビジネスの有り様は、英語圏の人々に乗っ取られているのです。

 CSRも海外が見本になっていて、日本のCSRは見本になっていません。日本においていわゆる近代的な企業のCSRの原型とそれを理論化したのは山田方谷という岡山の備中高梁藩の儒学者であり家老だった人です。その人の門人に二松学舎大学を作った三島中洲がいて、その同志に渋沢栄一がいました。三島中州と山田方谷がいたから渋沢栄一は「右手に論語、左手にそろばん」と言いました。

 しかしそのことをフォーカスする人はいません。海外のものを無批判に受容するだけでなく、日本のものを掘り下げて温故知新で再評価して、それを外国のものと重ね合わせてそれぞれ良くしていくことが必要です。

泉貴嗣氏と友田景のツーショット写真

 こんな感じでソーシャルアカデミーをやろうと思っています。ディベートのネタを振って、みんなで禅問答をやりたい。ソーシャルなんて答えが出るものではないのだから、よく考え議論する。問題なのは、あまり考えないでソーシャル系の問題に首をつっこみ、上辺だけの問題解決になったりすることです。社会問題というのは根深く、広汎な問題性を持っているものが多い。だからこそ体系を理解し、戦略的に取り組まなくてはならないのです。

(友田) 確かに弊社でも日本らしいCSRの在り方を考えることによって社会の自律機能を促進するように時代を先導して行きたいと思います。本日はありがとうございました。

 

※講演など泉貴嗣氏へのコンタクトは、弊社までご連絡下さい。

 

 

  

  

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