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スタッフ・ブログ

古民家をリノベーションした素敵な住まいを体験してみませんか。

投稿日時:2017年01月15日 19:52

ビズデザイン代表の木村です。

徳島県の池田高校をご存知ですか。かつて蔦文也監督が率いた“さわやかイレブン”“やまびこ打線”で名を馳せた野球部で有名なあの高校です。その池田高校があるのが三好市。

大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)や平家の落人伝説、かずら橋などでも知られる秘境の地・祖谷(いや)渓谷があるのも三好市なのです。

三好市は1時間から1時間半もあれば四国4県どこへでも行けることから “四国のヘソ”と呼ばれるほど交通至便のまちで、スーパーやコンビニもあるそこそこ便利なまちですが、山、川、谷、田畑の自然も豊かなイイ感じの田舎です。

そんな三好市がいま「お試し移住モニター」を募集しています。

「お試し移住モニター」とは、古民家をリノベーションした素敵な住宅での住まいを、最長6泊7日まで(但し2泊3日以上)無料で体験できるというものです。

滞在期間中はモニターの希望に応じてコンシェルジュがアクティビティ体験やイベント参加、地域住民の皆さんとの交流の機会を提案してくれるという手厚いおもてなしもあるようです。

さらに、三好市最寄りの空港(高松空港、徳島空港)や駅からお試し住宅までの送迎を含めて、レンタカー等による最大48時間までの移動支援を受けられる(燃料代は自己負担)という嬉しいサービスも。

そして肝心の住宅ですが、これもまたリノベーションできたてのほやほや物件です。

エアコン、無線LANルーター(WIFI利用可)、テレビ、全自動洗濯機、掃除機、炊飯器、冷凍冷蔵庫、電子レンジ、電気ポット、調理器具、食器、シングルベッド(布団・枕付)×2 など設備も完備しています。もちろん、全部新品。

応募条件として「将来に向け、移住をお考えになられている方」というのがありますが、今は全然考えてはいないけど、この体験をきっかけに移住を考え始めたという場合でもOKだと思います。

この「お試し移住モニター」の取組は三好市役所、地元のNPO法人等が中心となって進められています。地元の新聞でも何度も記事になるほど注目されている信頼できる取組です。まずは詳しい情報を検索したり、問い合わせをしたりしてみてください。

私(木村乃)にお問い合わせいただければ、市役所またはNPOの担当者におつなぎします。ご遠慮なくどうぞ。

※物件はそれぞれ特徴のある2件「街の棟」と「丘の棟」です。「丘の棟」はすでに募集中です。「街の棟」は2月1日からの募集を予定しています。

モニター募集の窓口をされているNPO法人マチトソラの特設ページはこちらです。

 

【ビズワード】 老害

投稿日時:2016年12月20日 09:12

ビズデザイン代表の木村乃です。

私は新年があければすぐに52歳になります。人生80年という時代にあってはまだまだ“若い”のかもしれません。
しかし、最近は自己の「老害」を強く意識するようになりました。

広辞苑によると、「老害」とは、「老人による害の意。硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占め、組織の活力が失われること。」なのだそうですが、僕は少し違った意味で「老害」をとらえています。

「足跡を遺さんがために自己主張を滔々と語ること。」

このように定義してみると、自分にもあてはまる部分がないとは言い切れない。そういう自覚があります。
嫌なじじいです。

遺す価値のある足跡であれば誰かが勝手に受取って、承継してくれるでしょう。
それを自ら意識してしまうということは自信がないことの表れでもあるでしょう。
そんな者が滔々と語る言葉に価値はありません。

「人の振り見て我が振り直せ」。

人様に「老害だ」と言われることのないように、気を付けて生きていきたいと思います。

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皆様、本年も大変お世話になりました。
よいお年をお迎えくださいませ。

 

【ビズワード】 続・ソーシャル

投稿日時:2016年11月01日 08:37

ビズデザイン代表の木村乃です。

前回の「ビズワード」で、弊社・友田が「ソーシャル」の解釈について書いていました。

今回は私なりの「ソーシャル」を書いてみます。

私は、「ソーシャル」であるということは、「受益者≠支払者(負担者)」の構図が成り立つ営みであると考えています。
例えば、行政。
受益者は税を財源とする行政サービスを受けており、税の負担者は受益者ではありません。
言い換えれば、支払っている経済的負担がサービスの「対価」ではないということです。

先進国の人々の寄付によって成り立っている「砂漠で井戸掘り」のプロジェクトがあるとします。
寄付者が経済的負担をしていますが、受益者は砂漠地帯のコミュニティの人々です。

「ソーシャル」の場合、経済的負担をする人は何を動機にその負担をしているのでしょうか。
決して「対価」しての負担、つまり自分が直接受益することを前提とした負担ではありません。

その動機は、「共生」とか「共存共栄」とか、そういう人間同士、地域同士の関係性のあり方に対する思いなのだと思います。
中長期の時間をかけて、めぐりめぐって自らの利益につながるという期待感ももちろんあるでしょう。
「因果応報」、「情けは人の為ならず」ということです。

社会で起きている様々な問題を、「受益者≠支払者(負担者)」という関係が成立する構図のビジネスで解決しようというのがソーシャルビジネスでしょう。また、「共生」とか「共存共栄」とか、そういう人間同士、地域同士の関係性のあり方に対する思いを意識的に持っていない人でも、自然なかたちでいつのまにか“寄付者”となってしまうコーズマーケティングなどの仕掛けをビジネスに組み込んでいる営みがソーシャルビジネスなのでしょう。

そんなビジネスがもっと広がればいいなと思います。

 

【ビズワード】 媚びる・学ぶ

投稿日時:2016年10月03日 17:47

ビズデザイン代表・木村乃です。

5月10日発行の弊社ビズマガの「ビズワード」コーナーにて、「次回のビズワードでは『媚びる・学ぶ』をテーマに、雑文を書いてみたいと思います。」と予告しておきながら、すっかり放置していたことに今日気が付きました。大変失礼いたしました。

伝統工芸、芸能、料理などの技能者が自らの技を発展させようと、従来はなかった技術や工夫を取り入れようとする。伝統を重んじる人々からの批判に耐えながらも自ら習得した「型」を破って新しい要素を取り入れることにより、新しい「型」を生み出す「型破り」のプロセスであると言えます。技能者の技の発展と継承のためには無くてはならない創造的革新です。異文化や異世代から謙虚に学ぶ姿勢があってこそ、成し遂げられる革新です。

一方で、技能者が自らの技が異文化や異世代にウケなくなってきたということを動機として異文化や異世代になじみやすいように自らの技を変貌させていくということもあるでしょう。例えば老舗の日本料理店が、増加する外国人観光客に対応するためにフォークとナイフで食べられるよう食事をアレンジするといったことが考えられます。お客様に対する思いやりといえば確かにその通りです。

しかし、僕はそこにどうしても「媚び」を感じてしまいます。

「型破り」の先には新しい「型」が生まれるでしょう。しかし、単に「異文化や異世代になじみやすいように自らの技を変貌させていく」という行為の先にはどのような「型」が展望されているのでしょうか。そこが気になります。

技能における「型」は文化そのものです。文化が時代とともに変化していくことそれ自体は自然の成り行きでもあり、また人々の努力の結果でもあると思います。しかし、文化がある時代に破壊されてしまえば、その先には不毛の荒野しか見えてこないように思います。

地域活性化とか地域振興とか地方創生とか、そういう関係で各地の地域社会とおつきあいをしながら、こんなことをよく感じています。いま皆さんが取り組んでいることは、地域の文化を創造的に革新することにつながっているでしょうか。それとも、不毛の荒野に向けた破壊につながっているでしょうか。

そんな観点で足元を見つめ直してみることが必要ではないかと思うのです。

 

【参加者募集】 上野村の魅力にふれるツアー「ふれたび」(10月開催)

投稿日時:2016年09月20日 15:22

ビズデザイン代表・木村乃です。

私が明治大学商学部で担当している授業「旅おこしによる地域活性化実践」の受講生たちが企画・運営する素敵なツアーのお知らせです。

現在、参加者を募集しています。

10月22日(土)~23日(日)の1泊2日。群馬県上野村の人々と文化、そして自然とふれあう旅「ふれたび」です。

今回のツアーでは、「ふれあう」をコンセプトに、大学生の目線から見た上野村の魅力を存分に体験できる内容としています。

詳しくは以下のページをご覧ください。

■「旅おこし講」公式サイト

皆様のご参加を心からお待ちしております。

 

【ビズワード】 海軍医カレー

投稿日時:2016年09月05日 22:39

ビズデザイン代表・木村乃です。

神奈川県・横須賀市の「よこすか海軍カレー」をご存じでしょうか。

海軍とともに発展し、今もなお海軍文化を色濃く残す横須賀市ならではの商品として人気を博しています。

長期間洋上で過ごしていると曜日感覚が損なわれるため、毎週金曜日(古くは土曜日)の昼食をカレーにすることで曜日感覚を維持するという海軍文化があったことにちなんだ商品だとのことです。

いまやラーメンと並ぶ国民食ともいわれるカレーですが、海軍(のちには海上自衛隊)食としての導入はまだ国民の間ではあまり普及していない時期(明治17年~18年頃)だったようです。その導入を進めたのは当時の海軍医務局副長であった高木兼寛だと言われています。

その後、海軍軍医総監(軍医の最高位)にもなった高木兼寛は宮崎県宮崎市(旧・高岡町穆佐(むかさ))の出身で、東京慈恵会医科大学の創設者でもあり、脚気の撲滅に尽力したことから「ビタミンの父」とも呼ばれています。カレーは、この脚気の撲滅のために海軍食として導入されたものだとのことです。

宮崎県宮崎市高岡町では、今も高木兼寛を郷土の偉人として敬われ、「高木兼寛顕彰会」もあります。地元の人々は親しみを込めて「ケンカン先生」と読んでいるそうです。

宮崎県郷土先覚者のページ

そして、郷土の偉人をもっと身近に感じ、地域おこしにも活用しようとして生まれたのが「海軍医カレー」です。

僕は、4年ほど前から毎年、宮崎県自治学院に研修講師として出向いていますが、その際に旧高岡町職員のT.Sさんと知り合い、彼の紹介で「海軍医カレー」の開発と普及に取り組んでいるK.Iさんやその仲間の皆さんとも知り合いました。それ以来、毎年お会いして、高岡町のまちづくりについてお話しするなど楽しい時間を過ごし、彼らの郷土への強い思い、高木兼寛への思い入れを聞かせていただいています。

僕は、地元の偉人といった“文化財”にちなんだ特産品開発というのはあまり好きではありません。偉人そも人自身への関心を持ち、広げることをせずに、それに“あやかる”だけの取組が多いように感じているからです。地元の誇りですらある偉人を、単なる客寄せパンダにしてしまうあさましさが好きになれないからです。

しかし、「海軍医カレー」にはそのようなあさましさは感じません。なぜなら、その開発・普及に取り組んでいる皆さんが高木兼寛を心から敬っている様子を感じるからです。単なる歴史遺産あるいは文化財としての「高木兼寛」ではなく、地域の誇るべき文化としての「ケンカン先生」を大切に思う気持ちを感じるからです。

地域社会には様々な歴史、文化があります。それらを地域の人々が心から愛し、誇りとしていれば、それは地域おこしの大きな資源となりうるでしょう。しかし、単なる“あやかり”であれば、その歴史、文化そのものの価値を貶めることにもなりかねません。特産品開発・普及に取り組んでおられる皆さんには、ぜひそのことを心に留めていただきたいと思います。

 

【ビズワード】 ジャーナリストの傲慢

投稿日時:2016年08月01日 00:15

ビズデザイン代表の木村です。

先週末は東京都知事選挙でした。
今回の候補者の中に、長きにわたってジャーナリストとして真実を追求し続けてきたということを自身の強みであるとした人がいました。準備不足とスキャンダルが敗戦要因であると分析しているようですが、果たしてそうなのでしょうか。

実は私も、かつて大学を卒業するころは新聞記者になることを目指していました。某全国紙の記者として内定ももらいました。ジャーナリズムというものについて憧れや敬意をもって自分なりに少しは勉強してきたつもりです。

今回のジャーナリスト候補者の発言で最も気になっているのは、以下のツイートです。
実際のツイートはここをクリック。

「急に出馬を決めたので、当初は確かに都政の知識が十分ではなかったが、私は51年現場でやってきた人間だ。3日あれば大丈夫だ。もう他の候補に負けないくらいの政策を出している。介護、中小企業、保育の問題などを中心に取り組む」

その昔、ジャーナリストを目指し、その後リサーチャーとして生きてきている私としては、この発言を見過ごすことはできません。ついでに言えば、行政マンとしても5年間を市役所で過ごした私としても同じく見過ごせない発言です。

「ジャーナリストとしての経験を行政に生かす」というアピールは構いません。しかし、「私は51年現場でやってきた人間だ。3日あれば大丈夫」というのはあまりにも傲慢です。百歩譲って、「都政に対する概括的な理解」が3日でできるというのであればまだわかります。ですが、明確に「都政の知識が十分ではなかった」ということについて述べた発言です。

こういうジャーナリストの傲慢は、実はこの候補者に限ったことではないように思います。もちろん、そうではない謙虚で真摯なジャーナリストも多くいらっしゃると思います。いや、むしろ多くのジャーナリストがそうでしょう。

私たちが直接目にするジャーナリストはTVなどでコメンテイターとして登場するような人たちです。そういう人に傲慢さを感じることはとても多くあります。政治家や経営者に対する記者会見での質問の仕方等についてもそうです。権力、権威に媚びることなく、恐れることなく鋭い切り込みをかけるのはジャーナリストの矜持でしょう。しかし、だからといって横柄な態度をとってよいということにはなりません。

この候補者は、親等の介護をするためにやむを得ず仕事を辞めなくてはならないということを指す「介護離職」を、介護現場での処遇の悪さによる介護職員の離職という意味で街頭演説していました。都政(行政・政策)の知識が3日では身につかないことのひとつの証拠です。その他にも、「え?」と思える発言が多く報道されていました。

敗戦の弁で「準備不足」を挙げていました。ですが、「3日もあれば大丈夫」と言っておきながら「準備不足」を敗戦要因に挙げること自体、大きな自己矛盾です。まあそのあたりはやや揚げ足取りにすぎません。「準備不足」、実際にはたしかにその通りでしょう。しかし、それ以上に、多くの有権者がこの候補者に「ジャーナリストの傲慢」を感じ取ったということもあるのではないかと私は思います。

メディアは社会における大きな権力のひとつです。ジャーナリストはその権力を行使している末端の存在であるといえるでしょう。だからこそ、人に対しても事実に対しても常に謙虚であることが求められなくてはならないと思います。

今後はジャーナリストとして都政をチェックする」と発言しているらしいですが、ぜひ傲慢にならず、謙虚に真摯に、しっかりと都政を勉強して、準備不足の報道にならないよう頑張っていただきたいと思います。

 

【ビズワード】 「権利」と「義務」

投稿日時:2016年07月04日 23:17

ビズデザイン代表の木村です。

前回のビズワード(2016年06月06日)の予告に次のようなことを書きました。

日本国憲法に定められた国民の三大義務「教育の義務(26条2項)」、「勤労の義務(27条1項)」、「納税の義務(30条)」。これらの「義務」という二文字を「権利」に置き換えてみたらどんな世界が見えてくるでしょうか。

「教育の権利」、「勤労の権利」、そして「納税の権利」。

このうち、「教育」と「勤労」についてはそれぞれ憲法26条と27条で「教育を受ける権利」、「勤労の権利」として明文化されています。権利と義務が対になって存在していることが憲法上明らかです。

しかし、納税についてはその権利、つまり「納税の権利」が明文化されていません。

税金というのは公権力によって強制的に徴収されるものなのだから、それに抵抗することなく納付することが義務づけられているだけで十分だ、と考えるのがふつうなのかもしれません。ですが、納税というのは、自分も社会を支えている一員であるという自覚をもつことができる大きな機会であるというとらえ方もできるのではないでしょうか。もちろん、課税されてもいないのに自ら率先して納税するという人はほとんどいないだろうとは思います。でも「ふるさと納税」はどうでしょうか。厳密に言えばこれは「納税」ではなく「寄付」なのですが、その本来の趣旨は「自分もふるさとを支えている一員である」という自覚をもつことができる機会を提供すしくみなのではないかと思います。返礼のお得感をアピールして寄付金を集めるというちょっとおかしな運用がなされているのは本来の趣旨に合わないのではないかとも思いますが。

また、心身の事情で自分が望むような働き方ができないという方々であっても、自らが社会に「支えられている」存在であるというだけではなく、社会を「支えている」存在であるということを自覚できる機会があることは望ましいことだと思います。それがたとえ「1円」であろうと「10円」であろうと、機械的に非課税とするのではなく、しっかりと課税をして「納税の権利」を行使する機会をつくるというのも、社会システムの在り方ではないかと思います。

「権利」と「義務」は表裏一体のものです。教育、勤労と同じく、納税についてもそんな考え方ができれば、社会は今よりも少しだけ心豊かなものになるような気がします。

 

【ビズワード】 働かかざるもの食うべからず

投稿日時:2016年06月06日 14:17

ビズデザイン代表の木村乃です。

5月10日の「ビズワード」で「名物に旨いものなし」の解釈について、僕なりの独断解釈をご紹介しました。
今回は「働かざる者食うべからず」という慣用句を取り上げます。

Wikipediaには、新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節に「働きたくないものは食べてはならない」という一節があり、これが「働かざる者食うべからず」という表現で広く知られることとなった、とあります。
また、1936年制定のソビエト社会主義共和国連邦憲法(スターリン憲法)の第12条にこの表現があるとの解説もあります。

一般に、この慣用句は「働こうとしない怠け者は報酬を得る(ご飯を食べる)資格がない」といった厳しい戒めの意味で使われています。それを承知のうえで、僕はちょっと違う意味の解釈をしてみたいと思います。

「人がご飯を食べるのは働くためなのである」という解釈です。

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話は変わりますが、マタイ福音書やルカ福音書に記載がある(らしい)「人の生くるはパンのみによるにあらず」というイエスの言葉があります。これには「神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」という言葉が続くのだそうです。その意味は、「私たちを生かしてくださるのは神さまであり、その神さまの言葉に従った時に、私たちが生きていくために必要なものは神さまがちゃんと備えてくださる」というものだとか。
さてそうなると、一般に知られている「人間というものは食べたり飲んだりすることだけで生きるものではなく、文化的・精神的なことを目的として生きるものである」という解釈は誤用ということになってしまいます。ネットでちゃちゃっと調べてみたら、「大辞林 第三版」にも「〔マタイ福音書四章〕人は物質的な満足だけを目的として生きるものではなく,精神的なよりどころが必要である。」と解説されているようなので、この誤用はすでに常識的解釈にまでなっているということがうかがえます。
慣用句や格言、名言というものでは、このように当初の意味から変化して誤用が一般化するということも多いのでしょう。

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話を戻します。

「働かざるもの食うべからず」の僕の解釈「人がご飯を食べるのは働くためなのである」というのは「人の生くるはパンのみによるにあらず」の誤解された意味に似ています。働くということはお金(食べ物)を得るためではなく、働くことそのものに生きがい(精神的なよりどころ)を見出すことにこそ人生における意味があるのだという解釈だからです。つまり、一般的解釈としての「働かざる者食うべからず」は、労働を人としての義務であると主張していますが、僕は働くということを人としての権利だと主張しているわけです

「働かざる者食うべからず」は、諸般の事情で働きたくても働けない人に対して差別的な言葉ではないかという批判もあるようです。
しかし、僕の解釈では、諸般の事情があって働きたくても働けない人にも皆と同様に働く権利があるのだから、その権利を行使できる社会環境を作っていくことが必要であるということになります。

「働かざる者食うべからず」というわずか十二文字の言葉ではありますが、このようにいろんなことを考えさせてくれます。

次回、僕が担当する「ビズワード」では、「権利と義務」をテーマに書いてみたいと思います。日本国憲法に定められた国民の三大義務「教育の義務(26条2項)」、「勤労の義務(27条1項)」、「納税の義務(30条)」。これらの「義務」という二文字を「権利」に置き換えてみたらどんな世界が見えてくるでしょうか。乞うご期待。

 

【ビズワード】 名物に旨い物なし

投稿日時:2016年05月10日 08:40

ビズデザイン代表の木村乃です。

「名物に旨い物なし」という諺があります。

本来は、名物とされているものも、食べてみるとたいして旨いわけではない。転じて、とかく評判がいいとされているものは評判倒れ(看板倒れ)のものが多いという意味のようです。

しかし、僕はこの解釈は少し違うのではないかと思っています。

ご当地で旨いと評判の名物は、当地の人にとってはこのうえなく親しみと愛着を感じ、旨い、旨い、これがなきゃ生きていられない!なんていう半ば本気の冗談を言いたいほどのものであるが、他所の人にとっては、え?こんなのが旨いの?と首をかしげたくなるようなことがしばしばある。そういう解釈が「正解」なのではないでしょうか。

例えば、うどん。

「やっぱり、この“こし”がなくちゃね。“のどごし”も大事だよ」なんて言う人は全国にたくさんいると思いますが、僕の故郷である福岡ではうどんに“こし”なんか必要ない!という人が多くいます。福岡のうどんは、極端に柔らかくて箸で引き揚げたときに切れてしまうほどです。伊勢のうどんも同じようなものだと言います。“こし”、“のどごし”を求める人にとっては、とてもまずいうどんでしょう。

例えば、醤油。

福岡をはじめ九州、四国地方の醤油はとても甘いです。お刺身用の「刺身醤油」、「たまり醤油」に至っては、すごく甘くてざらざらしています。当地の人にとってはこれでこそ、The「醤油」なのです。かつての僕もそうでした。しかし、福岡を離れて30年の僕ですら、この九州・四国地方の甘い醤油は、ちょっといただけないものになってしまいました。

焼酎好きの人でも、芋焼酎はNGとか、泡盛はNGとか言う人もいるでしょう。

こんなふうに、当地の暮らしに浸透し、根付いている食文化はそれぞれ独特のものです。それだけに、他所の人にとっては、それのどこがいいのか??と思うことがあっても不思議ではありません。

「名物に旨いものなし」。

実はこの言葉は、地方・地域に根付いた誇るべ文化の価値を表した愛情あふれる諺なのではないでしょうか。

「名物に旨いものなし」。

この言葉を、評判倒れという意味にとらえてしまうと、深刻な悲劇が起こります。

他所の人の「舌」(志向)に合わせて、当地の文化を変貌させるという行為です。これをやってしまうと、せっかく当地で培われてきた文化を壊してしまうことになりかねません。僕はこのことを「媚びる」と表現したいと思います。

一方。他所の文化に触れて、そこから学ぶべきものを吸収し、当地の文化を成長させていくという行為もあります。地域の文化が不変であるということに固執することはないでしょうから、当地の人が文化の発展を願って変化を求めていくことは素晴らしいことです。僕はこのことを「学ぶ」と表現したいと思います。

次回のビズワードでは「媚びる・学ぶ」をテーマに、雑文を書いてみたいと思います。

乞うご期待!

 

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