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【ビズワード】大統領を超えた存在

投稿日時:2015年11月16日 15:24


ビズデザイン代表・木村です。

ミャンマーで政権交代が起こります。
アウンサンスーチー氏が実質的な指導者になると報道されています。
「大統領を超えた存在」というのがそのことのようです。

軍政時代に作られた憲法により、外国籍の家族がいる場合は大統領になれない(第59条(6))ため、アウンサンスーチー氏は大統領になれません。(憲法条文は、工藤年博編「ミャンマー軍事政権の行方」調査報告書 アジア経済研究所2010年より抜粋。以下も同じ。)

そこで「大統領を超えた存在」になると声明しているわけです。

アウンサンスーチー氏は独立の父と呼ばれるアウンサン将軍を父とするミャンマー民主化運動の象徴であり、ノーベル平和賞を受賞(1991年)、また女性リーダーであることからわが国でも人気が高いようです。
それはそれでよいのですが、僕は「大統領を超えた存在」という彼女のスタンスに大いに違和感を感じています。このことはミャンマー国内でも違憲の疑いがありと問題視されているようです。

そもそも、ミャンマー憲法では第16条に「国会の元首及び行政の長は、大統領とする」と定められ、第58条では「大統領は、ミャンマー連邦全土に居住するミャンマー国民全員の頂点に位置する」とされているのですから、「大統領を超えた存在」は憲法上ありまえません。

現憲法が国家の指導者を「大統領」と定めている以上、実質的にこれを超える存在として実験を握るということは、つまり「大統領」を傀儡にし院政を敷くということになります。民主国家において、傀儡政権を作るということを公言することが果たして許されるのでしょうjか。

アウンサンスーチー氏は憲法改正についてはどのように考えているのでしょうか。
その草案作成におけるGHQないし米国の過剰な関与、押しつけがあったと言われる日本国憲法ですら、大日本国憲法が定めた改正手続き(旧憲法第73条)に基づく手続形式を経て制定されています。
改憲なしに「大統領を超えた存在」として公然と権力を掌握するというのは立憲主義の否定になるのではないでしょうか。

一方、外国籍の家族をもつ者が大統領になることを禁じるという現ミャンマー憲法には正当性があるようにも思います。外国籍の家族をもつ指導者に国益を委ねるわけにはいかないという考え方には道理があるからです。
かといって、アウンサンスーチー氏の事情にのみ対応しうる改正といった恣意的な改正も決して好ましいことではありません。

それでは、アウンサンスーチー氏はどのようにして名実を備えた指導者となることができるのでしょうか。
外国籍の家族がミャンマー国籍を取得するというのがそのひとつの方法でしょう。
それがミャンマーの国内法によって可能なのかどうかはわかりませんが、一般論としてそれができるとしても、政治権力を掌握することを目的とした帰化が許されることはないと考えるのが妥当でしょう。
離婚して、お子さん方との家族関係を解消するという方法もありえます。
これは「悪法も法」を逆利用した有効な方法になります。つまり、形式要件を整えれば大統領になる資格があるというわけです。

素人考えでしょうが、少なくともそのような形式要件を整える努力をすることなく、「大統領を超えた存在」になるという暴言をなし崩し的に許すようでは、ミャンマーの民主化は遠のいてしまうような気がします。

安保法制をめぐる我が国の政治的混乱の中でも「立憲主義」は主要論点となっていました。
解釈改憲は許さない、または解釈改憲の範囲を逸脱しているという主張です。
これは、護憲派、改憲派の双方が共通に主張すべきことですが、実際には護憲派が強く主張したところです。
アウンサンスーチー氏の勝利、ミャンマーの民主化は歓迎すべきことでしょう。
それはそれでいいと思います。
しかし、「安倍政権が立憲主義を崩壊させた」と主張してきた方々が「大統領を超えた存在」になることを標榜するアウンサンスーチー氏のスタンスについて疑問視しないとすれば、それはおかしいと思います。

他所の国のことながら、立憲主義について少し考え込んでしまいました。

 

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