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新たな就労支援(中間的就労)事業の社会的価値に関する調査報告書

投稿日時:2014年03月31日 12:07

友田景です。

弊社では、厚生労働省の平成25年度セーフティネット支援対策事業(社会福祉推進事業)として「新たな就労支援(中間的就労)事業の社会的価値に関する調査」を実施致しました。SROI(Social Return On Investment)の手法を用いて、中間的就労の成果を可視化することができました。この度、調査報告書がまとまりましたので、公表致します。

報告書は、こちらからPDFにてご覧頂けます。

本調査では、全国各地で先進的に実施されている10団体の中間的就労の取り組みについて調査を実施しました。中間的就労における参加者の変化を成果と捉え、貨幣価値換算した場合に総合的に見ると中間的就労の価値は、主に「業務スキルの向上」「人間関係の構築」「自分を知る」の3つであることが、ほぼ共通していました。

報告書の資料編には、中間的就労における標準的インパクトマップを掲載しています。今回の調査を通して得られた成果として、中間的就労における各ステークホルダーに起こり得る変化、成果を網羅し、それぞれの成果指標、貨幣価値換算を示しています。中間的就労の実施団体においては、自団体の評価、見直しの際にご活用頂き、自治体の施策として実施される際には、施策設計のご参考にして頂ければと思っています。

 

【ビズワード】地産地消

投稿日時:2014年03月18日 09:30

木村乃です。

唐突ですが、野沢菜は漬けてからだいたい四ヶ月ほど食べられる期間があるそうです。

でも、若い世帯では酸っぱくなってきたら捨ててしまうお宅もあるそうです。なぜなら、漬物以外の食べ方を知らないから。

長野県佐久穂町で伺ったお話です。

お年を召した奥様方は実に多彩な野沢菜の楽しみ方をご存じだとか。酸っぱくなったら、天ぷらにしたり、炒めたり、お焼きっぽく焼いて食べることもあるとのこと。

ご当地であっても、そういう食べ方を知らない若い人が増えているというのは残念なことです。

さて、地産地消が大事といいます。六次産業化が必要だともいいます。顔の見える生産者が丹精込めて育てた農産物を、そのまちの人々が感謝の気持ちを抱きながらいただく。加工もするし、直売もする。どこの誰が作ったかわからないものよりも安心できるし、余分な流通コストがかからない分だけ安くもある。昔ながらにそこで作られてきた農産物なだけに食べ方も工夫されていておいしいし、捨てるところがないほど無駄なく食べることができる。生ごみも減る。農家も仕事が増えて嬉しい。確かに素晴らしいです。

でも、こうした効果が現実のものとなるためには、生産、流通、家庭での躾などの伝承、改善、改革の努力が必要です。それは生産と生活の革命と言っても大袈裟ではないほどの変化をもたらす努力でしょう。

ひるがえって、よくある地産地消の取組をみてみましょう。

例えば果物を栽培している農家が地消されやすい商品にしようという思いからジュースやジャムを作る。そして直売所や通販で販売する。いわゆる六次産業の取組です。しかしそれがどうにも売れない。実際、どうすれば売れるんでしょう?という相談を受けることがあります。そこで私は尋ねる。「お宅ではパン食はどのくらいの頻度ですか?」。すると農家は答える。「うちではいつもお米のご飯ですよ」。また尋ねる。「では、ジャムはいつ召し上がるんですか?」。農家は答える。「ああ、うちではあまり食べません。」。

こういう笑い話は現実にあります。自ら食べないものを作って売る。そこには自ら生活革命を起こそうという気持ちはなさそうです。これでは地産地消の効果はもたらせない。もちろん、農家だって儲かりやしない。

話が逸れました。

野沢菜に話を戻しましょう。

野沢菜という特産物をそのまちでもっと食べてもらおうと、その多彩な加工品を商品化したとします。すると何が起こるか。

ますます若い人は家庭での多彩な調理法を覚える機会が減ってしまいます。いつのまにか、野沢菜を漬けることもしなくなるかもしれません。

地産地消とか六次産業というものを、単にビジネスとしてしか捉えないとそういう悪弊が生じかねません。これでは本末転倒です。

佐久穂町では鯉や鮒を今でもよく食べるそうです。かつては多くのお宅に水槽があって、鯉や鮒を飼っていたそうです。当然、それを捌いて食べていたということです。しかし今は鯉を捌ける人はとても少ないといいます。その一方で、地元のスーパーには下処理あるいは調理された鯉が売っているそうです。

確かにこれは地産地消です。でも、それでいいのかな?とも思うわけです。

なかなか難しい問題ですね。

 

支援を受けるということ

投稿日時:2014年03月04日 11:26

菅裕子です。

先日ひきこもり相談の現場から、「相談者は当事者の支援を受ける気持ちをサポートするコーチ役である」との一つの支援の方向性を示す言葉を聞いた。まさにその通りだと思った。

ひきこもり支援を受ける当時者やその家族は、しばしばその支援機関にコンタクトするまでに散々悩み、躊躇し、勇気を振り絞ってようやく辿り着く。そもそもそんな状態の人は支援してくれる機関があることすら、最初は考えもつかない。たまたま何かひきこもり支援に関する情報を得て、それを糸口にそこへ行くか、悩んで迷って漸く電話をかける。支援者は漸く出てきたその人をまた後戻りさせないために、「よく来てくれたね」と優しく声掛けをし、焦らせず、ゆっくり本人の納得するペースで徐々に社会に慣れていく段階をサポートしてく。

支援を受けることとは、人の世話になることである。困っているのなら早く言えばいいのにと、他人事では思う所であるが、なかなかそれが出来ないから困っている。支援者を信頼することができるのかという点での不安もある。その意味でも信頼できる、安心できる機関としてサポート内容を示しつつ、当事者に親身になり寄り添って行く事が、「支援を受ける気持ちをサポートする」ということにはとても重要な事であると思う。

また、支援にたどり着けないという現象は、ひきこもりだけではなく、それ以外の様々な社会課題においても同様にある。高齢者の問題では、しばしば人に頼ってはいけない、自分でしなきゃという意識から、困ったというSOSを出せず孤立死に繋がるという話がある。子供を産んだばかりのお母さんは子育てに不安があるのに、自分のやり方が間違っているかもしれない、怒られるかもしれない、との思いから誰にも相談できずに最悪の場合は虐待を招くことになる。ひきこもりも社会に出ていないことを申し訳なく思い、それに対する批判が怖くて出て来られない、また自分が社会に通用するか怖くて出て来られない。しかし精神状態が悪化すると、最悪どのような奇行に走るか分からないリスクなどもある。

どんな人であれ、人生のどんな段階であれ、困ったことを誰かに相談する、頼ることをよしとする、また何か手助けがあるかもしれないという考えに至るように知識を付けることが非常に大事である。そしてそれ以前に、どの問題においても共通して言えることは、とにかく「孤立することを避ける」ことがまずは第一に大切だと思う。

 

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