HOME > スタッフ・ブログ 「世遊綽々」 > » あえて言う。八ツ場ダムのことは地元の意思で決めるべきだ。

投稿日時:2009年09月27日 11:40
さきの総選挙ははじめ地方分権選挙と言われた。東国原-古賀誠ドタバタショーでそのムードはすっと消えてなくなり、民主党マニフェストの子ども給付金だとか高速道路無料化、天下り撲滅、政治主導体制への移行だとかの政策(といっていいかどうか疑問だが・・・)の影に隠れた。八ツ場ダムの問題は、官僚主導・政財(特にゼネコン)癒着から生まれたムダな公共工事としてその象徴的存在となった。・・・が、昨日友人Kとの意見交換で、「この問題の本質は、中央集権的政治・行政体制にある」との結論に至った。そして今もまた中央政府・国交省主導で「中止」が“強要”されようとしている。政権交代による政策変更に伴う発生コストは民主主義の“ロス”として甘受すべきものである。民主的手続きによる政権交代を国民は歓迎した、ということだ。つまり、様々な“ロス”よりも政権交代を望んだということである。したがって、中央集権的政治行政体制を前提とするならば、八ツ場ダムは中止すべきだ。それに異論はない。それでいい。だが、その前提<中央集権的政治行政体制>に疑問がある。たしかに、八ツ場ダムは、官僚主導・政財癒着の象徴的産物なのだろう。しかし、この一地方の治水事業が、外交、防衛・感染症対策等のように地方分権(地方主権)下にあっても中央政府がイニシアティブをとるべき政策対象だと言えるだろうか。地方分権(地方主権)を本気で考えるのならば、八ツ場ダムのことも、この際、地元の意思にゆだねてはどうか。地元にも中止論者は少なくないと聞く。中止を公約した民主党が政権についたことで勢いづいていることだろう。でもそれでいいのか。それは中央集権的政治・行政への依存にほかならないのではないか。継続論者はどうか。対抗すべき相手は民主党政権なのか?地元の中止論者なのではないのか。地域のことは地域で決めるという自治能力が試されているのではないか。そこで提言したい。民主党政権は、「地方自治は中長期の大局に立った自律的意思決定をすることができるか」という大問題を検証するおおがかりな社会実験としてこの八ツ場ダム問題を取り上げてはどうか。群馬県あるいは吾妻郡を「地方主権特別実験区」とし、地方議会・地方行政・地方司法のシステム大変革を構想し実験する。そういう大局に立った建設的解決法を提示すれば、責任ある政権としての民主党政権に対する信頼度はむしろ高まるのではないだろうか。そういう構想力を持たずして現地に国交相を送り込むなどずさんきわまりないやり方だ。前原大臣が気の毒でならない。「国家による生活保障・救済」という解決シナリオでうやむやにしてよい問題ではない。そんなことを繰り返しているようでは、この国に地方主権の時代は来やしない。
2009 年 10 月 10 日 12:40 AM
ダムの凍結がニュースになっていますね。
全員が納得してハッピーになる解決法はないと思っていますが、50年も無くてすんだものに必要性があるとは思えないのですが….
辛口のご意見待っています。
2009 年 10 月 11 日 8:04 AM
例のダムの件について、ぼく自身の気持ちを言えば、「凍結賛成」ですよ。50年間なくてすんだモノに意味があるとは思えない。でも、それを中央政府がトップダウンで決定することを見過ごしていいのか、というのが僕の疑問なのです。中央政府がトップダウンで決定するという政治思想に立つならば、政策として地方分権を標榜するのはやめてほしい。中央政府主導でなければこの国はまだまだだめだ!という政治思想でいけばいい。地方分権を言うならば、「民主主義のロス」を認めて、マニフェストどおりにならない事態や、必ずしも客観的に合理的とはいえない決定も許容しなくてはいけない事態がありうることを認めるべきではないでしょうか。それができないなら、民主主義に変わる政治思想を構築するしかない。中途半端はいやなのです。例えば、「環境集権主義」とかで開き直ればいいのです。環境問題に関してはたとえ地方分権社会といえども中央政府で決めるよ!と。