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投稿日時:2009年07月13日 06:42
都議選の結果が出た。投票率もぐんと上がった。「地方分権」がマジックワードのように喧伝される。30歳代の首長が続々誕生する。新風ともいえるこれらの変化は歓迎しよう。だが、この新風は衆愚化と表裏一体にあるような気がしてならない。現状を打破してほしい、変えてほしい。それはわかる。ではどう変えてほしいのか。変わりさえすればどうでもいいのか。歴史が暗黒の道に進むとき、必ず同じようなシナリオをたどる。変化を、変化をの大合唱の後には恐ろしく幼稚で過激な権力が闊歩する。ナチスもタリバンも、市民の圧倒的な支持のもとに権力を手に入れた。この大変革のムコウ側にどんな幸せを描けばいいのか。それがイメージできなければ「変化」もむなしい呪文に過ぎない。
2009 年 7 月 13 日 8:08 AM
木村さま
おっしゃるとおり、政治家は国を担う人材なので、なってはいけない人となってもいい人がいると思います。
その一方で50年も60年もオンリーワンで変わらないシステムも相当問題と思います。よどみをかき回すだけでも、そこから新しいものが出てくるのではないかと、個人的には期待しています。
2009 年 7 月 13 日 9:20 AM
変化は好きです。変化なくしては生きられない体質でもあります。引っ越しも好き、転職も好き(?)。「革命」なんていうと、ぞぞっと武者震いする方です。だからこそ、自覚しているのです。変化を好むとき、人は後先をあまり考えていないことが多いということを。「よい変化」にするためには、新しいものを、ぼくたち自身が提示しなければいけませんね。
2009 年 7 月 14 日 11:18 AM
郵政解散総選挙のときに小泉首相を勝たせた無党派層が、
この不況の煽りを受け、一番困っている。
都議選もしかりだが、若い首長が続々と誕生しているが、本当に大丈夫か?と思う。
当選した候補者よりも彼らに投票した有権者が。
しかも政令市や県庁所在地ようなの主要都市で。
25歳から市議をしていた私が言うのもなんだが、市議と首長とは仕事の領域も責任の重さも全く違う。
確かに自分がシンパシーを感じて、投票したいと思う候補者などそうはいない。
民主主義は『一番マシそうな候補者を選ぶもの』だと考えているが、候補者が何を信念に持ち、何をしようとしているのか?
有権者側も理解しようとする姿勢が大事だと思います。
誰が一番マシそうなのかをよく吟味した上で票を投じる。
同じ1票でもその中味には大きな差があります。
何となくの1票なのか、吟味した上での1票なのか。
民主主義発祥の地イギリスに古い格言がある。
『その国民以上の政治家は生まれない』
民主主義では、議員や首長のレベルは、有権者のレベルを超えることがない。
私自身6年間の議員生活の中で痛烈に感じたことである。
イチ有権者となった今、議員時代以上に自分が何をすべきか考えることが多くなっている気がします。