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スタッフ・ブログ

バラク・フセイン・オバマ大統領

投稿日時:2009年01月21日 11:53

今日のブログでこの話題に触れないわけにはいかない。米国第44代大統領の就任である。一般的な評論や感想はTVでも新聞でもさんざん見聞きして皆さん少し「耳タコ」状態だと思うので、ちょっと変化球を投げてみたい。米国内では80%以上の支持率を集めているオバマ大統領。その熱狂は新大統領への大いなる期待にほかならない。期待に応えようとするオバマ大統領の表情も、姿勢も、言葉も、その熱狂の対象としてふさわしい自身に満ちているようにみえる。ひるがえって我が国の「宰相」麻生太郎さんはどうだろうか。・・・とここまで書いたら、それって全然変化球じゃないじゃん、と思われるだろうがちょっと我慢して読み進めていただきたい。ぼくは思う。国家の元首たる大統領と、政治システムにおける宰相でしかない内閣総理大臣を同列に比較するのがどだい間違っているのではないか、と。大統領は国家の代表であり、国家そのものの象徴でもある。また、政治システムにおいても、政府高官とスタッフを根こそぎ入れ替えて政策執行に臨むことができる大統領と、議院内閣制と国家公務員法のもとで、いつも足下をすくわれかねない脆弱な権力基盤しか与えられていない内閣総理大臣との違いは歴然としている。内閣総理大臣は「ここぞ」という時は孤軍奮闘せねばならない宿命を背負っている。麻生太郎氏の力量や資質に対する評価には厳しいものがあるが、かつて新鮮さをもって歓迎された細川護煕氏にしても、小泉純一郎氏にしても、孤軍奮闘するしかない状況があった。これは内閣総理大臣個人の力量や資質によるものではないと思う。日本国憲法において象徴天皇制を掲げる日本。天皇陛下と皇室・皇族は常に国民の敬愛を受けているし、受けるに値する存在でなくてはならないという緊張感もあるだろう。決して軽んじることはできない。日本の元首とは?の問いに対してはいくつもの説があるが、米国大統領はまぎれもなく米国の元首である。その元首たる大統領への国民の熱狂と「宰相」でしかない内閣総理大臣への国民の失望とを比較することにはやはり違和感がある。とはいえ、外交場面では対等なパートナーとなるべき大統領と総理である。見劣りがあってはいけない。決して麻生太郎氏、自民党を擁護するつもりはないが、2国の熱狂状況の比較をして我が国の宰相を批判することに批評家精神を発揮している方々に対しては「そうやって自ら自国の宰相のスタイタスを貶めようとすることは、外交局面において我が国の国益を損なうことにつながりかねない危険な批評となる可能性が高い」ということを言いたい。ついでに言うと、オバマ・フィーバーだっていつまで続くかわからない。光が明るければそれだけ陰も暗い。安易に、ブームにのって、物事を批判することは慎みたいものだ。表現の自由はある。しかし、その自由のバックグラウンドには責任がなくてはならない。バラク・フセイン・オバマ新大統領の就任演説で強調された言葉が「責任」だったことを噛みしめたい。

 

健康未来研究所とソーシャルファーム

投稿日時:2009年01月21日 10:52

一昨夜(1/19)、神楽坂の「George Sand Kagurazaka(ジョルジュ・サンド神楽坂)」という店で「特定非営利活動法人 健康未来研究所」(理事長:大山博 法政大学現代福祉学部教授)の新年会があった。ちなみにこのお店はエッセイストの吉村葉子さんが経営されている焼き菓子のお店だ。ディナーも提供してくださる。さて、新年会は理事と関係者14人のこじんまりとした会だったが、それだけに会話の内容も濃かった。理事の一人である炭谷茂さん(元・環境庁事務次官)が12月に創設した「ソーシャル・ファーム・ジャパン」の話題も出た。高齢者、ニート、障害者などの社会的弱者を社会から排除せず包摂していく(ソーシャル・インクルージョン)ために、彼らの仕事をつくりだすことを目指した任意団体である。「雇用」が今最大の社会問題となっているが、不景気とか派遣切りとかいうタイムリーなだけの視点ではなく、人間社会における普遍的課題としてソーシャル・インクルージョンを考えておられるところがすごい。話題は変わるが、炭谷さんは現在、恩賜財団済生会の理事長もなさっている。新年会にはこのほかにも大分県で4つの病院経営に事務長として携わってこられたという方もいらっしゃっていた。それにしても、今年はやっぱり医療の世界に縁が深い。

 

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