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スタッフ・ブログ

大晦日

投稿日時:2008年12月31日 02:19

平成20年。2008年も今日で終わり。ということで、ぼくなりに今年の一年を振り返ってみる。今年は何よりも『出会い』の年だった。5月31日に前職の三浦市役所理事を辞し、6月1日から7月22日までの約2ヶ月は“浪人”の身だったが、その間にもおよそ100人の方々との新しい出会いがあった。7月23日に会社を設立してからも、毎月約100人弱の方々と出会ってきた。企業人、NPO・NGOの方々、アーティスト、文化人等々。自分でも驚いているのだが、ほとんどの方々との出会いのシーンをしっかりと記憶している。こうした出会いの記憶に支えられて、今年も大晦日を迎えることができた。

皆さんに改めて感謝いたしたい。どうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

九州独立論

投稿日時:2008年12月30日 13:04

福岡に行ってきた。ぼくの出生地であり、20歳までを過ごしたまちである。福岡を出てはや24年が経つ。まちはすっかり様変わりしていて、見たこともない道路やトンネルがあって道に迷ってしまいそうだった。現在は140万人以上の人口(福岡市)を擁する大都市。バブル時代には「支店経済」ともてはやされていたが、今はどうなのだろう。まちの印象からすると、「支店経済」、つまり東京にぶらさがったサテライトというよりも、よい意味でよりローカライズされた地方都市といった感じがした。このブログでもよくご紹介しているBTジャパンの北里会長は熊本県のご出身である。北里会長との出会いのきっかけは「九州は独立すべし」という趣旨の日経新聞インタビュー記事だった。今回の福岡の印象は、その意味を再認識させてくれるものだった。アジア経済圏のハブ機能。東京・京都に劣らない欧米・アジア向けの観光資源。海で囲まれた「九州」という一体感。蓄積された人財。ソフトバンクホークスの存在も、大分トリニータサガン鳥栖などプロスポーツの存在も大きい。個人金融資産も豊かであろう。逆説的にみれば、離島にみられる限界集落を多く抱えていることすら、“多様性”を前提とする新しい圏域(国土)づくりの可能性をもたらしうる条件とも言える。地域振興・再生にビジネスとして関わっていくうえで、「九州」はとても魅力的なフィールドになりうるということを再認識した数日間だった。

 

3度目の風邪・・・病は気から

投稿日時:2008年12月25日 18:44

12月23日に本年最後の顧客先訪問をして、今年の残りは内勤だけになった。毎年のことなのだが、年末仕事納めを迎えると、とたんにダウンしてしまう。張っていた気が抜けてしまうからなのだろう。今年も同じで、昨日(24日)から咳と鼻水、くしゃみの風邪諸症状が現れた。明日(26日)から29日まで3泊4日で私用で福岡に出かける予定がある。困ったものだ。こうした都合により、このブログへの書き込みは29日までお休みさせていただきます。

 

某遊技業経営者の志

投稿日時:2008年12月24日 11:00

昨日(12/23)、某遊技業(パチンコ・スロット店経営)の常務さんを訪問した。この会社の店舗が多く立地している地域で開催されるイベントへの協賛をお願いする目的だったのだが、CSR・地域貢献の話題でひとしきり盛り上がった。常務さんのCSRへの問題意識はずばり「人材確保と育成」である。当然のことながらパチンコ店の店員も他の民間企業の社員と同じく“会社員”である。それなのに、たとえば社員が事件・事故を起こしたら報道では「パチンコ店店員」として扱われる。決して「会社員」とはならない。これは一種の差別なのだが、その差別もやむを得ないと言わざるを得ない。なにしろ遊技業だ。だから差別しないでくれということを積極的に訴えるつもりはない。しかし社員自身にはそういう消極的な気持ちはもってほしくない。道で倒れている人がいれば手を差し伸べる、電車・バスではお年寄りに席を譲る。そうした当たり前のことを当たり前にできる社員になってほしい。それがこの会社の社長さんの強い思いなのだそうだ。そういう当たり前の気持ちを育て、当たり前の気持ちをもった人材を確保するために、店舗周辺の地域に貢献する活動に取り組み、社員をその活動に参加させることによって人材教育をはかりたいというのが常務さんの思いである。「そんなに大層な社会貢献をやりたいわけではない。会社の名前を出したいわけでもない。ただ、お客様が住んでいるこのまちで事業を営む会社として当たり前のことをやりたい」という。そうすれば、店舗とその周辺の清掃なんかも、ごく当たり前のこととしてやれる社員が育つに違いない。身の丈にあった社会貢献。常務さんのお話を聞いているとき、ぼくの頭の中ではそういう言葉が浮かんだ。ぼくはパチンコをやらないし、正直言うとパチンコや競馬、競艇などを嗜む行為には軽蔑に近い気持ちがある。しかし、この会社の常務さん、社長さんの思いには同じビジネスマンとして心から敬意を表したい。

 

個人金融資産 1400兆円(名目GDPの約3倍)

投稿日時:2008年12月23日 09:20

日銀の資金循環統計(2001年)によると日本の個人金融資産は約 1,400兆円で名目GDPの約 3倍もある。景気というのは血の巡りのようなものだから、消費が増える、つまり貨幣流通が増えることによって景気回復が促される。だから、1,400兆円の個人資産のいくらかを消費に回すことができれば景気後退を抑制することができる。このような考え方はあながち間違いでもないだろう。格差社会、格差社会というが、その正体については専門家の間でも見解が分かれているようだ。それはともあれ、ぼくたちとは金銭感覚の違う富裕層と呼ばれるお金持ちがたくさんいることは事実である。この人たちこそが1,400兆円の個人金融資産のいくらかを持っていることは間違いない。そこで、彼ら富裕層にどんどんお金を使ってもらいたい。その使い道なのだが、ぜひ社会貢献プロジェクトに寄付をしてほしい。NGO・NPOはそれを原資に国内で必要な物財・サービスを調達する。寄付税制が未熟な日本でそんなこと言ったって寄付なんか集まりっこないよ、という声が聞こえてきそうだが、それでもなお富裕層に寄付を促しうるしくみをつくるべく智恵を凝らすのが、弊社ビズデザイン株式会社のミッションである。この不景気だ、法人による寄付・スポンサーシップはもはやしばらくの間多くを期待できないだろう。だからこそ、個人金融資産にそれを求めたい。富裕層を顧客として抱えている企業-銀行、証券、クレジットカード、会員制クラブビジネス、リゾート等々に大いに協力を求めていきたい。

 

東野圭吾が止まらない

投稿日時:2008年12月19日 15:19

一昨日、京急金沢八景駅の古びた書店で「秘密」を買った。東野圭吾の小説だ。買ったときには「どれでもいいや」と思って、とりあえずその場にあった東野作品の中で一番分厚い文庫本を選んだのだが、読み始めたから「あれ?これって広末涼子で映画化してたやつ・・・」と気づいた。そう、娘と母親が入れ替わってしまうお話。どういうストーリーかは全く知らなかったので、どんなミステリーなんだろうと思いながら読み進んでいった。ところが、ミステリーではない。どうにも切ない気持ちにさせる夫婦愛・親子愛小説だった。「手紙」、「容疑者Xの献身」と同じようにクライマックスは最終局面になってようやく訪れる。衝撃的だ。これがまた、たまらなく切ない。胸が痛くなるほど。そういえば、こういう「切ない」気持ちはずいぶん久しぶりに感じた。まだまだ、ぼくの東野圭吾ブームは止まりそうにない。

 

デジタル+モンゴル=ディジモ

投稿日時:2008年12月19日 15:12

一昨夜、秋葉原で一杯やった。9人ほどのメンバーだったが、そのうち2人はモンゴル国出身の方。ディジモ株式会社の代表取締役社長・ガンバヤルさんと取締役のオギーさん。それぞれ日本に来て16年、8年とのことで日本語もとても上手。残念ながら多くの日本人と同様、ぼくもモンゴル語は喋れないので助かった。ディジモ株式会社は、元留学生が中心になって昨年(2007年)8月に設立した、日本で唯一のモンゴル人によるIT企業である。WEBシステムの設計・開発・構築、電子決済システムの開発、SNSサイトの運営等を行っている。モンゴル国家機関の代理として、モンゴル国会情報通信技術庁や国立ITパークの日本総代理を担っている。生ビールと焼酎をやりながらいろんなお話をした。ウランバートルの都市化のスピードがとても速いこと、それがゆえに、モンゴル人でありながらも映画「三丁目の夕日」にノスタルジーを感じてしまうこと。自然破壊がどんどん進んでいて心配していること・・・・。ぼくは「日本や英米は失敗した。それを真似てはいけない。少なくとも日本は今反省しはじめている。原点回帰の機運が生まれつつある。身の丈にあった国家形成を意識的に進めなければ、モンゴルもだめになってしまう。」と言った。お二人は同調しつつも、そのためにも産業を育てなければならない、ということを強調した。地下資源の切り売りを続けていく以上、自然破壊と急速な都市化(=郊外の空洞化)は免れ得ないと。これから一緒にいろいろ考えていこう、と約束した。

 

多様性③

投稿日時:2008年12月18日 09:19

2010年は国連・国際生物多様性年である。名古屋では、生物多様性条約締結国会議が開催される。生物多様性とは、生物の遺伝的多様性、種の多様性、生態系の多様性を意味するとされている。この多様性が損なわれることで、文明は取り返しのつかない脅威にさらされることになる。そもそも人間の文明も、数え切れないほど多様なローカル文化によって構成されていたはずである。直近のもっとも大きな文明的エポックは1760年代に始まった産業革命だと言ってよいだろうが、このことが文化の多様性の崩壊と均一化のはじまりだったと言える。そして、その背景にはグローバル化というパラダイムがある。米国の経済危機がなぜこれほどまでに世界中に脅威を与えるのか(今朝のニュースでは1ドル=87円!)。それは経済システム、生活様式といった文化の多様性が崩壊しているからである。交換の手段でしかないはずの貨幣に唯一最大の価値を与える。しかも一実験国家である米国のローカル通貨=ドルを世界の基軸通貨として認証する。自然人と同様に本来社会的存在であるはずの法人(株式会社)から社会的責任(CSR)を免除して株主利益を最優先すべきであるとする株主資本主義を最高の経営と賞賛する。少なくとも先進国の社会経済システムはこうしたグローバルスタンダードで均一化してきた。日本国内における限界集落の発生原因も根本的には同じである。実は、このことに多くの人が気づいている。産業革命以来約250年の時を経て、いま人間は大いに反省しつつある。そして、明示的に、また暗黙に「多様性」を取り戻そうとしている。その動きはまだまだ多数派にはなっていない。しかし、間違いなくこれは多数派になる。これは必然である。問題は、どのくらい時間をかけることが許されるかだ。その見極めをしたうえで「多様性社会」へのパラダイムシフトを戦略的に進めていくことがぼくたちの使命なのだろう。

 

東野圭吾②

投稿日時:2008年12月17日 09:56

「容疑者Xの献身」を読んだ。先日も書いたが、東野圭吾の「手紙」が意外にもおもしろかったので、ミーハー心を躍らせながら横浜駅の丸善で14日の夜に購入した。翌日(15日)には読了した。これはおもしろい。これまで読んだ東野ガリレオシリーズは種明かしが陳腐だった。それは科学的証明をするというプロセスに力点を置いた種明かしだったからだろう。ところが、「容疑者Xの献身」はそうではなかった。同じガリレオ作品とはまったく違うアプローチで描かれている。その違いは主役級登場人物であるガリレオ自身の人物描写にまで現れている。公開中の映画がどこまで原作に対して忠実であるのかどうかは知らないが、ここで詳細を書くのは無粋だと思うのでやめておく。・・・が、「容疑者Xの献身」はおすすめできる小説である。松本清張の「砂の器」や「点と線」から“時代的背景”の要素を取り除いてしまえば、松本作品にも十分に匹敵するおもしろさがあった。

 

多様性②

投稿日時:2008年12月17日 09:46

「価値観の多様化」「モノの豊かさから心の豊かさへ」が喧伝されていたバブル期は、実は「均一性」によって支えられていたという見方を昨日示した。しかも、極度の「均一性」に支えられていたと、ぼくは思っている。たしかに、住宅の選び方、暮らしぶり、服装、日用品、食品・・・と、消費アイテムのバリエーションは大いに“多様化”していた。「こたつでみかん」だけが正月ではない。ハワイで正月を迎えよう!「赤ちょうちんで帰りに一杯」は旧世代のもの。カフェバーで軽くやってディスコにくりだそう!というように。円高も手伝って輸入品アイテムが増えた。こうした現象を振り返ると、「少品種大量生産から多品種少量生産」へと消費市場における企業戦略のシフトがあったということは間違いない。しかし、そこにはかつてないほどの「均一性」が確立されつつあった。それは「貨幣と市場が第一」という価値観である。一見多様化したかに見えたバブル期の様相だが、よくよく観てみると、商品カテゴリーが細分化され、消費市場が細かくセグメント化されるなか、空前の“好景気”でダブついた貨幣をもてあました消費者が、それぞれのお好みの商品を買いあさっていたにすぎない。たしかに、商品選択の自由度が増した、あるいは消費アイテムが多様化したということはいえよう。しかし、貨幣経済がはじまって以来、これほどまでに貨幣そのもの、市場そのものが尊重された時代があっただろうか。ぼくは経済学者ではないのでそのあたりはよくわからないが、おそらく希有な時代だったに違いない。「多品種少量生産」であっても、「大量生産・大量廃棄」であることには何の代わりもない。本来、モノとモノの交換手段でしかないはずの貨幣がおそろしく価値をもつものであると錯覚された時代。その時代に多様化していたのは、人々の価値観でもなんでもなく、市場にあふれるモノの種類だったのだということを総括しておく必要がある。バブル期に均一性をきわめてしまい、いまだにその残影が色濃く残っている。それが金融危機・不景気のダブルショックをもたらした。そして、いま必要とされている「多様性」とは、まさしく「貨幣と市場が第一」という価値観」そのものを多様化すべきという意味をもつ。地域通貨、地方主権、LLP(有限責任事業組合)、LLC(合同会社)、非営利株式会社、産直流通、地産地消・・・。これらはすべて、「貨幣と市場が第一」という価値観」に挑戦する思想(哲学)の具現化策である。多様であってはじめて危機管理ができる。多様であってはじめて誰もが夢を描ける。多様であってはじめて・・・というのが「多様性」の前提であろう。(不定期に続く。)

 

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